Cameraと散歩

since '140125

081103 矛盾を露呈した金融危機  米国主導モデル見直しを

IMGM0205-12

'08/11/03の朝刊記事から

矛盾を露呈した金融危機
 米国主導モデル見直しを


京大大学院教授 佐伯 啓思      



 サブプライムローン問題に端を発する米国発の金融不安は、世界中を経済危機に陥れた。
確かに、1929年の世界大恐慌以来といってよいであろう。
今回の危機が、今のところ恐慌にまで至っていないのは、米欧日などの協調による、金融機関への資本注入などの措置がいちはやくうちだされたからである。

 しかし、29年の大恐慌時にも、10月24日の「暗黒の木曜日」のニューヨーク株式市場の暴落後、 株価はもちなおしている。
ところが、30年になってまた株価は下がり、銀行や企業倒産が生じ、31、32年とますます景気は悪化し、米国の失業率はついには25%にまで達するのである。
こうした一連の出来事を称して世界大恐慌というわけである。

 今回の事態が、これからどのように推移するのかはよくわからない。
ただ、信用収縮の影響は今後、実体経済におよんでくる。
景気の悪化や失業率の上昇など、本当の意味での危機は、まだこの先に潜んでいるというべきだ。




IMGM0205-9


危うい資本供給

 米国政府は70兆円の資本を不良債権の買い取りに用意し、25兆円を金融機関に直接注入することを決め、金利を引き下げた。
ようするに、あらゆる手段を使って、金融市場に資本を流した。
これは、金融市場でパニックが生じ、相互不信のなかで資金の動きが止まってしまったためである。

 ともかくも、今ここでは、このパニックを抑え、金融機関の信用を回復する以外にない。
その 意味では、金融市場への資本供給は緊急対策としてはやむをえないし、それ以外に方法はなかろう。

 しかし、今後も、株価が暴落するたびごとに、資本供給し続けるとどうなるか。
そもそも、金融市場へ過剰な資金が流入しているからこそ株式や不動産バブルが生じ、商品先物市場で投機が生じるのである。
金融市場への資金供給は、結局のところ、将来、より大規模なバブルを引き起こし、いずれ、いっそう深刻な金融危機を引き起こしかねない。

 いってみれば、うわばみのように貪欲な金融市場が、株価を人質にして、政府に金を要求しているようなありさまで、政府は、ただ、要求に応じて身代金を支払い続けているようなものである。

 あるいは、ギャンブルに明け暮れるドラ息子が、金をよこさなければ街中で暴れてやるなどという脅し文句を並べ立て、父親からすきなだけ金を引き出している、といった光景がつい浮かんでしまう。




IMGM0205-10

投機あおる構造

 確かに、ギャンブル三昧の金融市場をここまで巨大化した、そのきっかけをつくったのは米国政府である。 80年代から90年代にかけて、米国は金融自由化によりグローバルな金融市場の形成を政策的に推し進めていった。
端的にいえば、モノづくり経済で優位をとれなくなった米国は、比較的優位に立つ金融とIT (情報技術)へと産業の軸を移し替えていったのである。

 経済成長の原動力をモノづくりから、金融市場へと移行したわけである。
金融市場へ資金を集め、株式市場を 活性化し、投機的な利益を生み出すことで、そこに所得を発生させたのである。
ヘッジファンドや新手の金融商品の開発がこの傾向に拍車をかけた。
しかも、金融市場はグローバル化し、世界中がこの構造に巻き込まれたのである。

 これはどう見ても歪な構造といわねばならない。
たえず金融市場や不動産市場でバブルを起こし、投機的な利益をださなければもたないというのだ。
だがそれはいずれ破綻する。
今回の金融危機は、米国主導のグローバル金融市場の根本にある矛盾、本質的な危うさを顕在化させることになった。

 今回の資本注入で当面の危機は回避されたかもしれないが、本質的な矛盾はなんら回避されていない。
グローバルな金融市場への規制、投機活動の制限、グローバリズムの見直し、長期的なモノづくり体制の整備こそ、政府がなすべき事項である。

 まずは、90年代以降の米国型グローバル金融による成長モデルを見直すところから始めなければならない。




220215 北海道似湾編 似湾村の新居 5の4

IMGR072-13

履 歴 稿    紫 影子  

北海道似湾編
 似湾村の新居 5の4


 そうした多盛老人は、更に次の言葉を私の父へ「あんたが今頃北海道へ来て、簡単に成功をしようと思ったならば、それは大間違いだ、と言うことは一寸時期が遅過ぎたと私は思うんだが、と言って、絶対不可能とは言い切れない。
だから、往時私がやったことと、当然その方法は同じでは無いのだが、精神的には矢張り不焼不屈で無ければならない。
そして、どんな時でも『どんとこい』と言うきもったまで打突かって行く執念が必要ですよ。」と、忠告をして、部屋を出て行ったが、遂に成功者としての列に加わることを許されなかった私達としては、その反省をする都度、正に冷汗三斗の思いがする、現実の私である。




IMGR072-15

多盛老人の旅館で一泊をした翌朝、宿の朝食が終ると、「さあ、表へ行ってこよう」と、独言を言って私は旅館の表へ出た。
その日は空は良く 晴て旅館の前から二百米程隔てた山の端から五米程の所まで昇って居た太陽が紺碧の空から和らかい春の光を大地に浴びせて居た。
郷里の香川県では桜花の満開季と言うに、北海道の四月は袷の着物に羽織を重ねた装いでは未だ肌寒かった。

 旅館の表に立った私は、四辺をずっと見廻したのだが、人家と言う物が全く疎であって、 旅館の附近には向いに私達の新居となる家が只一軒あるきりであった。




IMGR072-16

 旅館の部屋を出る時には、只単に「よし、表へ行こう。」と言う以外には、何の目的も無かった私であったが、不図、私達の引越荷物が今日この似湾へ着くと言うことを思出したので、「よし、これから引越荷物を迎えに行って来よう。」という気になって、私は生べつの方向へ歩き出したのであった。

 私のこうした行動には、何故と言う程の深い意味は無かったので あったが、丸亀を出発してから、自分達の住む家が無いと言うことを淋しく思って居た私であったので、”引越荷物が来たならば、自分達の家に住める”と言った感懐がそうさせたものであった。



081103 消えゆく山里の原風景

IMGM0205-8

'08/11/03の朝刊記事から

論説委員室から

      浜田 稔



消えゆく山里の原風景

<太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。>

 詩人の三好達治の「雪」の一説から思い浮かぶのは茅葺きの家だ。
冷たい雪が温かく屋根を覆い、静かに夜が更けていく。
日本の山里の原風景である。

 十勝管内新得町高橋八重子さん(77)宅は、そんな古き風情にあふれている。
築60 年。
「茅葺きの家は夏は涼しいし、冬はあったかい。住みやすいですよ」

 黒光りする太い梁や柱。
屋根は二度葺き替えたが、土台や柱は昔のままだ。
十勝沖地震など天災にもびくともしなかった。

 入植後の道内では薄板を重ねた柾葺きもあったが、十勝は茅葺きが少なくなかった。
最初はササ小屋や掘っ立て小屋、それから茅葺きに建て替えたようだ。

 茅葺きの屋根材には、近場で手に入る ヨシやススキなどを用いた。
十勝の中でも豊頃町でとりわけ目立つのは「十勝川下流域にヨシ原が広がり、調達しやすかったからでしょう」。

 そう語るのは、趣味で茅葺き家を写真に残している同管内芽室町の斉藤博さん(71)だ。
この夏、撮りためた記録を一冊の写真集(非売品)にまとめた。

 1997年から3年間で撮影した母屋や納屋は78棟を数えた。
現存する十勝の茅葺き家をほぼ網羅したという。



IMGM0205-6

 中には屋根が崩れかけたり、空き家になって傾いたりした家もある。
なにしろ建ったのは古くは大正時代、新しくてもせいぜい戦後間もないころだ。

 「撮影からしばらくして、気が付くと取り壊されている。そんな状態だから、あれから20棟ぐらいは減ったのでは」と斉藤さん。

 財団法人・都市農山漁村交流活性化機構が2001年に実施した市町村調査では、全国で約四万戸が確認された。
 回答率が6割と低く、実数はもっと多い。
とはいえ、里山を彩っていた伝統家屋が全国的に減少の一途をたどっているのは確かだ。

 昔は、地域ぐるみで屋根の葺き替え作業をしていた。
その伝承技術は途絶え、今では茅葺き職人も極めて少なくなった。
道内では本州から職人を招かなければ、葺き替えられない。

 高橋さん宅も15年前にご主人が亡くなってからは、屋根の修理もままならなくなった。
4年前に倒木で傷んでからは、屋根全体をトタン で覆っている。



IMGM0205-7

 田園生活を好む欧州では今でも、新築の茅葺き家が見られる。
日本では建築基準法の規制があって、ほとんどの地域で不燃材の屋根でなければ家を建てられない。

 それでは失われるばかりだと、宮城県石巻市は2年前、規制を取り払った地域を設けた。
茅葺き家のある景観で地域の特色を生み出そうという試みだ。

 新潟県柏崎市では、古い民家が有志の手で修復され、宿泊もできる地域の交流の場として復活している。

 ただ、残念ながら、こうした取り組みは全国的にも限られているのが実情だ。

 岐阜県白川郷の合掌造り集落は、世界遺産にも登録された。
その歴史的価値には及ばないにしろ、農山村の古い家は地域の伝統と郷愁を色濃く残している。

 茅葺き家は「古くさい」「修繕が手間」と疎まれがちだ。
そんな中で、大事に守っているのは、先祖から受け継いだ家に愛着を抱いているお年寄りたちだ。

 世代交代とともに、茅葺き家はさらに少なくなっていくだろう。

 あと10年、20年たったらー。
その風景はどう変わっているのだろうか。