履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
吹雪 10の7
例によって、市街地の郵便函を開函して帰った私は、兄が大別してあった、キキンニを始め、自分が担当をして居る区域の郵便物を、いつものように区分をして学生鞄に詰めたのだが、その日の量が特に多くて詰めきれなかったので、残りを風呂敷包にした。
兄も、そして私も、五個程の小包を背負って家を出た時刻は、平日と何も変らなかったのだが、人趾未踏の雪路が歩行の速度を鈍らせるので、兄弟がキリカチの大久保商店で落合ったのは、午后の三時を既に二十分程過ぎて居た。
いつもは、此処で二人が昼食の弁当を食べたのだが、朝から頻頻と降り続けて居る雪に対する不安と時間的にも平日より、二時間以上を遅れて居ることを気にして、私達二人は昼食抜きで、早早帰路についた。
私達が大久保商店を出た時には、朝からの弱い南風が止んで無風状態になったので、「風が止んだぞ。」と二人は喜んだのであったが、それもつかの間、約一粁程を歩いた頃から、新に北風が吹き始めた。
併し、風はさして強くは無かったのだが、来る時のそれと同じように、頻頻と降る雪を、正面から吹きつける向風であったので空腹を抱えた二人にはとても苦しい行進であった。
平常は、この辺の道を人や馬橇が、鵡川の市街地へ多少は往来をして居るのであったが、それが荒天の関係であったものか、行けども、行けども、人馬はその影すらも無かった。
短かい冬の日が早早に四辺を夜の帷に包んで、白一色に塗り潰された大地は、道と田畑との見界を困難なものにして、私達の歩行を苦しいものにした。
私達は、睫の雪を拭いながら、凡そ此処こそ道と思いし所をひたむきに歩いたのだが、路傍の側溝へ足を滑らしては、幾度か転落したものであった。
漸く二人が生べつ本村のはづれに差懸った頃に、雪は多少小降りになったのだが、風が猛烈に強くなって、地上の積雪を乱舞させる猛吹雪になった。
併し、其処から村境の峠までは、道の両側に溝も無ければ、中杵臼の部落以外には、人家とても無い林の中の一本道であったので、側溝に足を滑らす心配は無くなった。
私達は、側溝に足を滑らす心配は無くなったのだが、ピューッ、ピューッと、或時は高く長く、或時は低く短かく、瞬秒風鳴りの音を変えては老樹の幹を揺ぶって、その梢に唸る烈風が路上に約五十糎程積って居る朝来の新雪を猛烈に吹雪いて、一歩、また一歩と、積雪を踏超えて此処を必死と懸命に歩く私達兄弟の、目と言わず口と言わず、真正面から全身に打ちつけるので、顔面を拭う暇とても無いと言う状態であったので、私達は首を左右に振っては顔の雪を、目を瞬たいては睫の雪を、そして下唇をとがらしてプーッ、プーッと、鼻腔に息を吹上げては、呼吸を妨げる鼻下の雪を払い落して、空腹と疲労でふらふらになった体を踠きながら歩いた。