Cameraと散歩

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141117 軍の関与と責任は消せぬ

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’14/11/17の北海道新聞朝刊 12面

慰安婦問題 識者の見方は

軍の関与と責任は消せぬ

京大大学院教授 永井 和さん



吉田清治氏の著書には二つの疑問点がある。
所属していたという労務報国会は荷役業務や土木作業に従事する日雇い労働者の動員業務に従事する半官半民の組織だ。
日本内地の地方支部組織が朝鮮総督府の管轄下にある地域に出動して直接女性を集めたとは考えにくい。


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また1943年(昭和18年)ごろ、事実上の軍政下にあった済州島から女性を連行したとあるが、当時、同島に日本軍はほとんどいなかった。
本土防衛の観点から軍が同島に関心を示すのは44年になってからで、最終的に大部隊を配置したのは45年4月以降だ。


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ただ、吉田氏の証言が否定されれば軍による強制連行の証拠がなくなり、慰安所は民間が経営した公娼こうしょう施設だからと軍の関与と責任を過小に評価することも正しくない。

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慰安所は軍事上の必要から設置された軍の後方施設だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍の後方施設という点では軍の病院と同じといえる。
ただ軍病院と異なり、多くの場合、その運営・経営は民間の請負業者に委託されていた。


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公娼制度が合法だったからといって、当時日本国内で政府が政府職員のために専用の売春施設を作ったことはない。
そんなことをすれば、国民から厳しい非難を受けるからだ。


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当初、日本の警察も軍がそんなことをするとは信じられず、国内で慰安婦の募集を行った業者を誘拐容疑で取り調べたこともあった。
しかし、募集活動が軍の依頼によるものであることが分かった時点で、それを追認し、容疑者も釈放した。
と同時に、軍がそのような施設を作ったことが日本国内に知れわたると、軍の威信を損ない、兵士の留守家庭に悪影響を与えかねないとして隠蔽いんぺいに努めた。


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明治初年に人身売買と前借金で拘束する年季奉公が禁止された。
公娼制度は人身売買に依拠した奴隷制度であるとの非難を避けるために、日本政府は、あくまでも娼妓しょうぎは自由意志で就職しているとの建前をとり、そのための行政上の枠組みとして登録時の自由意志の確認や廃業の自由を保障する規則を定めた。
しかしながら、軍の慰安所に関しては、それに類似した慰安婦保護の規則は現在においてもその存在が確認されていない。


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さらに、食堂で働くからとだまして連れて来られ、慰安婦にされたような例は、明らかに犯罪の犠牲者だ。
慰安所は軍の施設だから、慰安婦がだまされて来たと訴えたならば、被害者を解放し、業者を国外移送目的拐取罪で捕まえるべき責任と義務を、軍は負っていった。
軍に随従する御用商人等の犯罪を取り締まるのは憲兵の職務であると、作戦要務令にも明記されている。


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自らの意志に反して拘束され、廃業の自由も制度的に保障されず売春することを強要されたとすれば、慰安婦は性奴隷だったと言わざるを得ないだろう。