Cameraと散歩

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160828 この国民性を見よ

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変見自在 高山正之

この国民性を見よ


支那で初めて電気の灯が点ったのは北京郊外頤和園いわえん西太后の寝室だった。
アイヤーとか感激した西太后は点したドイツ人に電気事業の一切を授けた。
ドイツ人が今でも支那で大きな顔をし、メルケルが大事にされる理由がここにある。
西太后は走る汽車にもアイヤーと驚き、これも外国企業にすべてを任せた。
それで支那人は今もで電気がなぜ明るいのか、汽車がなぜ走るのか分からない。
新幹線を真似ても前に進むよりは下に落ちるものしか作れないのもこうした歴史が背景にある。


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その点、日本は違った。
外国に任せず、外人を呼んでノウハウを学び、日本人がつくる方式を取った。
だから明治5年には自前の鉄道を走らせ、明治20年には火力発電所が運転を始め、やがて日本製のフィラメントが点るようになった。
ただ、お雇い外国人が皆立派かというとそうでもないものもいた。
支那定遠ていえんに敵う海軍力をと頼んだエミール・ベルタンは身に余る巨砲を、後ろ向きにつけた軍艦を造ってしまった
。 日本は危うく日清戦争に負けるところだった。


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外務省が雇った米外交官ヘンリー・デニスンはもっといかがわしかった。
彼が明治13年から大正期まで実に35年間も日本外交を仕切った。
表向きは不平等条約の改正に励み、日清戦争下関条約を華麗な英文にし、日露戦争講和では小村壽太郎をよろしく助けたことになっている。


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しかし歴史ははっきり異論を付ける。
例えば下関条約と並行した遼東半島についての三国干渉だ。
白人国家の専横に対しデニスンは論議を避け、黙って受け入れることを勧めた。

ポーツマス条約もロシア艦隊を殲滅した日本は「ロシア船の無制限拿捕も可能。もはやロシアの敗北は決まった」(ニューヨーク・タイムズ紙)状態だった。
シベリアの半分は日本のものと言われたのに領土も賠償金もゼロ。
赤ん坊がやっても結果は同じだった。


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不平等条約も伊東博文の顧問ダーラム・スティー ブンスが実際にメキシコとの間での交渉を行い不平等撤廃の道を開いた。
日本には横腹にナイフのような形で朝鮮半島がある。
そこが揺れるたびに日本は戦争に巻き込まれてきた。
半島はそのまま日本の安全保障に繋がるが、デニスンは動かない。


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対してスティーブンスは朝鮮の外交権を日本が預かる形を伊藤に勧め、実際、彼が朝鮮政府の外交顧問について暴走をふせぐ役割を担った。
ルーズベルトも同じ。
朝鮮に国家としての能力がないと判断し、朝鮮にあった米公館を早々に閉じた。
ついでに日本に朝鮮併合を促したが、彼らを知る日本はそれを謝絶していた。


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そんな折、一時帰国したスティーブンスがサンフランシスコで日米の朝鮮問題の取り組みについて記者会見した。
彼ははっきり朝鮮王室も政府も腐敗しきっていること、両班ヤンパンが民を好きに略奪し、民は愚昧のままおかれていること、国としての形もないことを語った。
「いま日本の存在感が増していくのに伴って民は大きな恩恵を受けている」と会見を結んだ。


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新聞を読んだ4人の在米朝鮮人がホテルに押しかけ、彼の発言に抗議した。
「国に戻って自分の目で確かめてみれば」と諭す彼を4人は椅子で殴り倒し、顔を床にこすり付けた。
その翌日、フェリー乗り場で待ち伏せしていた別の朝鮮人2人が彼を銃で狙撃し、デニスンより優れた米国人は死亡した。


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襲った6人には特別の背景はなかった。
腹がたつと朝鮮人なら誰でもするように見境がなくなって椅子で殴り、殺しもする。
米紙は理解を超えた国民性に強い警戒感を訴えたが、先の戦争では日本と朝鮮の立場を入れ替えた。
日本の方を「警戒すべき国民性」に仕立てた。


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スティーブンスが撃たれてから1世紀。
今度はソウルで米大使が斬られた。
米国務次官の談話に腹が立ったからという。
国民性は本当に変わらない。

’15.3.19 週刊新潮より