福田和也のへそまがり世間論
世界が反対でも私が「死刑制度」を支持する理由 1-3
死刑ーー。
報道以外では頻繁に耳にする言葉ではありません。
しかし、わが国が死刑制度を維持している以上、国民は死刑に関心を持つ責任があると、私は思います。
加えて、死刑囚・袴田巌さんの再審が決まり、釈放された件もあって、今後、死刑の存置をめぐる議論はますます喧しくなっていくことでしょう。
しかも、平成21年5月21日、日本では裁判員制度が始まりました。
すでに国民は、ある人間を死刑に処すべきかどうか決定しなければならなくなる可能性があるのです。
日本の現行刑法は、明治40年4月24日に公布され、翌年の10月1日に施行されました。
以来、死刑は廃止されることなく現在にいたっています。
これは、世界的に見ると、めずらしいことなのです。
現在、世界の3分の2を超える国が、法律上、または事実上、死刑を廃止しています。
アメリカは州によって異なりますが、EU加盟国はすべて死刑を廃止しており、EUに加盟する条件に死刑廃止を挙げています。
死刑廃止の根本には、死刑が生命という最も基本的な人権を侵害する極めて残酷で非人道的な刑罰だ、と言う考え方があります。
また犯罪者を死刑にしてしまったら、更生の道がありません。
威嚇力の点でも、一瞬にして命を奪う死刑よりも、終身刑にして一生を刑務所の中で拘束し教化する方が、社会にとって喜ばしく効果的だ、という意見もあるでしょう。
犯罪者の生命を奪う刑罰は古代から見られますが、近代国家の死刑は中世ヨーロッパ社会の国家刑罰から始まったといえます。
12、3世紀ごろに出現した都市的環境においては、浮浪者、いわゆる非定住民による犯罪の増加が問題となりました。
こうした犯罪に対しては、それまでの罰金などといった処罰ではとても対処できるものではなく、犯罪被害の防止と威嚇のため、死刑が行われるようになったのです。
(’14.8.28 週刊新潮)