'02/07/31付北海道新聞朝刊8面の記事
李登輝元総統が死去
「台湾人の新国家」目指す
評伝
台湾出身者(本省人)として初の総統となった李登輝氏は、中国や政界の保守派と闘い「台湾人の新国家」を目指した。
「台湾人として生まれ(ながら)台湾のために何もできない悲哀があった」。
1994年、作家の司馬遼太郎氏との対談で語った言葉は李氏の原点を象徴していた。
日本による50年間の植民地統治後、中国共産党との内戦に敗れた国民党の蒋介石ら大陸出身者(外省人)が支配した台湾。
人口の大半を占める本省人は「外来政権」下で主役になれずにいた。
蒋介石の長男、蒋経国元総統に見いだされ、農業経済学者から政界へ。
88年に総統に就任し、持ち前の緻密で柔軟な発想で政敵を巧みに排除、本省人総統への期待を追い風に民主化を進めた。
96年に初の総統直接選を実現し「民主国家」として世界の脚光を集めた。
台湾史を重視した教科書導入など改革は教育面に及び、外来政権の統治に終止符を打った。
民意に基づく新しい政治体制を打ち立て、統一を求める中国の圧力を、跳ね返した。
「台湾人意識」は社会の主流に育った。
「岩里政男」という日本名で日本の教育を受け、京都帝大(現京大)在学中に志願兵で軍に入隊。
陸軍少尉として22歳の時に名古屋で終戦を迎え、台湾に戻った。
勤勉や自己犠牲といった「日本精神」を台湾人が「学んだ」と語っていた。
ここ数年は自ら進めた民主化が「限界に達している」として、憲法改正を含む「第二次民主改革」を提言していた。
亡くなる直前まで「台湾の主体性を、もっと強化しなければならない」と訴えていた。(台北共同)
「最も深い哀悼」 蔡英文総統
【台北時事】台湾の李登輝元総統死去を受け、蔡英文総統は30日、「最も深い哀悼の意」を表明した。
「台湾が民主化を果たした過程での貢献は何物にも代え難い。元総統の死去は国家にとって極めて大きな損失だ」と功績をたたえた。
総統府は30日、李氏の葬儀に関する会議を31日に開き、方針を決定すると発表した。
200731 李登輝元総統が死去 「台湾人の新国家」目指す